
「hulu」の
無料2週間トライアルは
\期間内に解約すれば無料で視聴可能/
Service | 配信状況 | 無料期間 |
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◎ 定額見放題 |
2週間 |
無料期間中、いつでも解約することができます。
無料トライアル中の解約であれば、完全無料で動画を視聴することができます。
毎回ゲストを招いて、プロフィールからその軌跡をたどり、ゲストのアナザースカイを紹介する番組。
普段見せないゲストの姿はかなり新鮮で、今までの印象とは違った一面が見れて、回によってはかなり感動するんですよね。
さて、ここではバラエティ番組の『アナザースカイ2』の無料動画や見逃し配信をリサーチしてみました。
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登録や解約が簡単かどうかが心配だという方も多いと思いますので、その情報もまとめてみたのでご覧ください。
意外にどっちも簡単だから気軽に登録できます。
私はもう全ての動画配信サービスの無料トライアルに登録して解約しましたが、「hulu」は登録も解約も意外に簡単な方でしたよ。
ページコンテンツ
『アナザースカイ2』の無料動画や見逃し配信をリサーチ!
バラエティ番組『アナザースカイ2』は「hulu」で視聴できます!
huluの無料お試し期間2週間に登録すれば、お金は一切かからず視聴できます。
※無料お試し期間中の解約が条件です。
- 無料お試し期間:2週間
- 月額料金:933円(税抜)
- ポイントは無しだが見放題
過去回も豊富に揃っているから、あのときの名場面や気になっていた放送も視聴可能。
Service | 配信状況 | 無料お試し期間 | 月額料金(税抜) |
U-NEXT |
ー | 31日間 | 1990円 |
hulu |
◯ | 14日間 | 933円 |
FOD PREMIUM | ー | 2週間 | 888円 |
Netflix | ー | ー | 880円 |
ー | 30日間 | 2,417円 | |
Abemaプレミアム |
ー | 30日間 | 960円(込) |
ー | 30日間 | 562円 | |
ー | 2週間 | 925円 |
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『アナザースカイ2』を1週間限定で見逃し配信されている動画配信しているサイトは「日テレ無料TADA」です。
Service | 配信状況 | 備考 |
TVer(ティーバー) | ー | |
GYAO!(ギャオ) | ー | 高画質 |
TBS FREE | ー | |
ネットもテレ東 | ー | |
日テレ無料TADA | 〇 | |
テレ朝キャッチアップ | ー |
見逃し配信しているサイトですが、無料ということでいろいろ視聴に弊害があります。
- 広告が多い
- 過去回がない
- 1週間限定
- アンケートがある
- 画質が悪い
無料とは言え広告が多いのはちょっとイライラしちゃいますよね。
CMと思えばそれまでなんですが、動画配信サービスの広告とテレビのCMとはちょっと感覚的に別問題と思っているのは私だけでしょうか。
広告も15秒~30秒とちょっと長め。
さて、どうにか無料で見られないかと探すと、違法アップロードされているサイトが見つかりました。
Pandora・Dailymotionなどの違法アップロードされた動画は要注意!
『アナザースカイ2』がPandora.TV・Dailymotion、MioMio、9tsuなどでフル動画を扱っているかを調べてみました。
この中で一番取り扱いが多かったのが「MioMio」でした。
意外にこういう違法アップロードされているサイトで視聴は可能なんですが、いろいろ注意が必要だしそもそも違法です。
Pandora、Dailymotion、MioMio、9tsuなどの違法動画サイトや、Youtubeで見かける違法動画は法律上でダウンロードすることは禁止されています。
しかも、お使いのパソコンにウイルスが感染すると、個人情報の流出など色々なリスクがありますので、当ブログでは案内を除外させていただきます。
- 大切な個人情報を流出させる可能性
- パソコンの内部データを外部に流出
- ファイルが次々に書き換えられる
しかも画質もかなり荒いし、見ててかなりストレスを感じやすい仕様になっています。
という事で安心、安全で不安なく利用するならやっぱり「hulu」の無料トライアル2週間に登録して視聴するのが一番だと思います。
人間、真面目が一番ですよ。
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huluの魅力や特徴・他の番組もリサーチ!
『アナザースカイ2』だけのために「hulu」の無料トライアルに登録するのももったいないと思っている方も多いと思います。
ここでは「hulu」について魅力や特徴、他の番組もリサーチしてみました。
- 意外とバラエティ番組が豊富!
- 日本テレビ系列の番組が豊富
- 月額933円(税別)と安価
- 取扱本数6万本以上
- 全てのコンテンツが見放題
- ダウンロード再生可能(アプリのみ)
huluはアメリカに拠点を置く動画配信サービスです。
日本テレビ系列の番組が多いのは、元々huluを扱っていたHJホールディングス株式会社を買収したからなんです。
日テレ系作品が豊富
バラエティ番組もかなり増えてきているので、『それって!?実際どうなの課』や『エンタの神様』など豊富に揃っています。
スピンオフ系の作品も豊富
ドラマなど、放送終了後に外伝的な扱いでhuluオリジナルスピオフ作品が放送されることがあるので、視聴後は必ずチェックしておきましょう。
意外にドラマに関係ないような内容ですが、ドラマを盛り上げる意味でもけっこう面白いですよ。
月額料金のみで全ての動画が見放題
それにしても月額933円(税別)で6万本以上の動画が見放題とは、ポイントこそありませんがかなり太っ腹ですね。
いちいちポイントを気にして視聴する面倒くささが無いのが助かります。
様々なデバイスで視聴可能
しかもテレビやスマホ、PCでも見られるから便利で、ダウンロードして後から視聴できるのも嬉しいサービスです。
注意したいのが、ダウンロードはスマホやタブレットで使えるアプリだけの機能のようです。
Wi-Fi環境の整っているところでダウンロードして後でゆっくり見ましょう。
取扱カテゴリーやバラエティ番組一覧
◼ 取り扱いカテゴリー一覧
海外ドラマ・TV | 国内ドラマ・TV | 洋画 | 邦画 |
アニメ | アジア(韓流) | ドキュメンタリー | ライブTV |
特集 | キッズ |
◼ 取り扱いバラエティ番組(一部)
8時だヨ!全員集合 | ゴッドタン | エンタの神様 | さよなら たりないふたり |
にけつ!! | お笑いG7サミット | 電波少年 | 笑神様は突然に… |
月曜から夜ふかし | 有吉の壁 | しゃべくり007 | マツコ会議 |
有吉反省会 | アナザースカイⅡ | 乃木坂どこへ | THE突破ファイル |
「hulu」ではバラエティ番組はもちろんですが、洋画からアニメまで6万本以上おり扱っているから、きっと他の作品でも十分満足して利用できると思います。
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『アナザースカイ2』の概要や放送地域
毎回ゲストを1人招き、ゲストの興味深い人生を掘り下げていく。
アナザースカイIIにリニューアル後は、番組テーマが「夢の数だけ空がある」、「人生の第II楽章」となった。
新ロゴマークは佐藤オオキがデザインした。
リニューアル直後は、トーク部分の収録をスタジオを離れてゲストゆかりの場所で行っていたが、スタジオ収録に戻っている。
- 放送局:日本テレビ系列
- 放送日:毎週金曜日
- 放送時間:11時00分~11時30分
- カテゴリー:バラエティ番組
- 企画:加藤孝司
- 演出:加藤孝司(総合演出)
- プロデューサー:井原亮子・東井文太(CP)
- 司 会:今田耕司・広瀬アリス
■放送地域
日本テレビ(NTV) | 札幌テレビ(STV) | 青森放送(RAB) | テレビ岩手(TVI) |
ミヤギテレビ(MMT) | 秋田放送(ABS) | 山形放送(YBC) | 福島中央テレビ(FCT) |
山梨放送(YBS) | テレビ信州(TSB) | テレビ新潟(TeNY) | 静岡第一テレビ(SDT) |
北日本放送(KNB) | テレビ金沢(KTK) | 福井放送(FBC) | 中京テレビ(CTV) |
読売テレビ(ytv) | 日本海テレビ(NKT) | 広島テレビ(HTV) | 山口放送(KRY) |
四国放送(JRT) | 西日本放送(RNC) | 南海放送(RNB) | 高知放送(RKC) |
福岡放送(FBS) | 長崎国際テレビ(NIB) | くまもと県民テレビ(KKT) | テレビ大分(TOS) |
テレビ宮崎(UMK) | 鹿児島読売テレビ(KYT) | 琉球放送 (RBC) |
詳しい放送時間はお住いの地域のyahooテレビ欄をご覧ください。
「hulu」の無料トライアル2週間を過去に利用してしまった方は?
過去に「hulu」の無料トライアル2週間を利用していた方でももう一度利用したい方もいると思います。
しかし、基本的にどの動画配信サービスも無料トライアルは1人1回が原則。
たまにアカウントを変えたりクレジットカードを変えたりして2回、3回と無料トライアルを利用する方がいますが、それも最悪は訴えられる可能性があるので、やめたほうが良いでしょう。
『アナザースカイ2』に関して現在は上記でご紹介した動画配信サービス以外は取り扱っていないのが現状です。
「hulu」の月額933円(税別)高いと感じるのは人それぞれですが、試しに1か月だけ課金してみるのもいいと思います。
それで高いと感じれば解約すればいいし、意外と高いと感じなかったのであればそのまま継続利用してみるのもいいでしょう。
こればっかりは無理にすすめる事も出来ないので、お財布と相談して無理のない利用が一番おすすめです。
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『アナザースカイ2』の過去のエピソード
お笑いコンビ・ミルクボーイの駒場孝、内海崇に密着。
2019年の『M-1グランプリ』で、見事優勝を果たしたミルクボーイ。コンビ結成から、暗黒期、M-1優勝について地元・大阪で振り返った。
M-1に憧れてコンビ結成
2人がコンビを結成したのは学生時代。大阪芸術大学の落語研究会で出会ったことがきっかけだった。その後、「『base吉本』(公開オーディションイベント)のオーディションを受けだして、4年生の時に合格しまして、それに合格したら吉本(興業)から500円お給料貰えるんですよ。『俺らも吉本か』ってなって、嬉しくなってもうそのまま(今に至る)」とデビューまでの流れを話す内海。
当時のモチベーションは、「ホンマにM-1に憧れてたんで、『決勝に出たいな』ていうだけ」だったそう。「フットボールアワーさんのM-1の優勝ネタを一言一句ノートに書いて、2人でそれを練習しました」と当時を懐かしんだ。
M-1休止からの暗黒時代
デビュー後、しばらくは順調だった。お笑いの聖地・「なんばグランド花月」で前説をしながら、「関西の賞レースの決勝残ったりとか、このまま売れて行けるんやろうなとは思っていた」という。
ところが、2人の目標でもあった『M-1グランプリ』が2010年に一旦休止。目標を失い、駒場は「掃除好きやったんで掃除検定をとりましたし、ポールダンスも習いました」と模索期に。
「ギャンブルをめちゃくちゃしました」と話す内海は、「火曜から金曜までは地方競馬して夕方までやって、夜からパチンコ行く」ような生活を送り、駒場は「僕はずっと先輩と一緒におらしてもらって、毎晩飲みに行かしてもらうっていう。1人の先輩と終わったら帰ってきて、また夜遅い時間からもう1人別の先輩と飲みに行く」ような日々を過ごしていたという。
漫才人生を救った先輩の言葉
そんな日々が5年ほど続いた時、駒場を変えたのは、先輩芸人の海原やすよ・ともこの言葉だった。
「『ミルクボーイって昔面白かったって聞くよ、後輩に。でも最近、漫才頑張ってないらしいね』って、バシッと言われたんで、ちょっと目覚まさなアカンな」と思ったという駒場。内海も「漫才や、やっぱり。もう漫才だけを頑張ろう」と切り替え、「後輩を集めてライブしよかっていうことになり」、合同ライブイベント「漫才ブーム」を開催することとなったという。
その後の2人の生活は一転。「ギャンブルを辞めまして、ネタ合わせとお笑いの仕事と生活のためのバイトだけにしようと思って、もう趣味とかを辞めました」(内海)、「先輩の誘いとかも『すみません、ライブするんで』『ネタ合わせします』と一切断らせてもらいました」(駒場)と、漫才への情熱を燃やしていった。
勝因は「人生で一番頑張った」
デビューから13年が経った2019年、目標にしていた『M-1グランプリ』で優勝。
「『何をどう変えたんですか?』とか言われるんですけど、単純に、今までで一番頑張った」と内海は語る。「2人で同じバイトをして時間も合わせて」、「朝から夕方までバイトして、夕方から夜までネタ合わせするというのをほとんど毎日続けて」、「あの時間が僕らを育ててくれたというのはある」と当時を振り返った。
今後、東京進出については「考えていない」という2人。「大阪拠点で頑張ろうかなって」「育ててくれた場所ですから、恩返ししたいなって思ってます」と地元への感謝の思いを表した。
カーリング選手・本橋麻里の故郷・北海道北見市常呂町への旅に密着。
本橋率いるカーリングチーム「ロコ・ソラーレ北見」は、2018年の平昌オリンピックで見事、銅メダルを獲得。しかし、そこまでの道のりは決して楽ではなかった。
“人生”を考えさせられたバンクーバーオリンピック
初めてオリンピックを経験したのは19歳、2006年のトリノオリンピック。地元の北海道を離れ、青森へ活動拠点を変えてからわずか1年後のことだった。
「当時は違う街に来て、違う環境の中で、目標を追いかけることの難しさを感じながらやっていた」ため、「その分、勝ちにもこだわっていたというか、極端に“勝つ事だけが私の存在価値”っていうところに頭がいき過ぎてしまっていた」という。「カーリングを心の底から楽しんでるかと言われると、疑問に思うことはどんどん増えていったこともあった」が、「でも、オリンピックに行くってそういうことだなって、やっぱり今振り返ると思う」と回想。
その後、2008年には「世界女子カーリング選手権」に出場し初の4位に入賞するものの、2010年のバンクーバーオリンピックの結果は8位。「思い描いているものは夢の夢」で終わってしまった。現実を突きつけられる中、価値観が大きく変わったのはカーリング大国・スウェーデンのチームとの出会いだったという。
「スウェーデンの選手はトリノで優勝して、バンクーバーも同じメンバーで優勝したんですけど、その4年間でみんな、出産して子育てして、またアイスに戻ってきてるという姿を見て、凄くいいな、カラフルだな」と感銘を受けたそう。そんなスウェーデンのチームは「カーリング人生と自分の人生がすごくカラフル」な一方で、「私たちは“カーリングが人生”という形で、そこに囚われてしまいすぎて、自分の人生は二の次みたい」になっていることに気づき、「ああいうふうになりたい」と強く思ったと振り返る。
地元でゼロからのリスタート
その後、「女性の人生の中でうまくフィットできるようなチームを作りたい」という思いから、5年間在籍した青森のチームを離れ、故郷でゼロから新しいチームを作ることを決断。「日本代表も自分からおりてしまったし、『あの子はもう勝つ気はない』という風に見られたり、ストレートに『遊びでやるんでしょ?』という言い方をされたり」など、「故郷だけど、飛び込んだ感」のあるスタートとなった。
そんななか、初めてスポンサーについてくれたのはたまたま訪れた皮膚科だった。本橋が地元に戻り、チームを作ろうとしていることを噂に聞いた院長から診察後に突然「活動資金はあるのか?」と聞かれたことをきっかけに、支援を受けることになった。
「『4年に1回のオリンピックを目指すのであれば支援はしないよ。地元に根付いたチームを作るんだよね?』って聞かれたのを覚えています」「常に競争という中で、逆にそう言われたのが私のカーリング人生の中で初めてだった」と本橋。
2012年に結婚をした際にも、「結果が残ってない時点で結婚しても、大丈夫かと反対もあった」なか、「時に叱ってくれて、時に『それでいいんだよ』って一緒に応援してもらえて」という後押しが。「(そんな)関係性でいられるというのは人生の中でそんなにない」と感謝の思いを述べた。
チーム作りも一筋縄ではいかなかったという。既存のチームから引き抜きをしないことがマナーで、「たまたまチームに入ってない子」や「進学や就職でチームと別れてしまった子」などに声をかけていったそう。
本橋は、「チームを作るときに一番大事にしたのは、一人の個性を潰さない」ことだと話す。「一人一人のカラーは大事にしよう、でも目標は同じ方を向こうというスタイルでやっていた」とチーム作りの考え方を語った。
「私は、結婚してから出産するまでちょっと時間が空いたので、女性って、こういうことを悩みながら生きていくんだなってすごく体感した」という自身の経験から、カーリングにおいても、チーム作りにおいても、“一人の女性として人生を楽しむ”ことを大切にしている本橋。チームのキャプテン兼リザーバーとして出場した2018年の平昌オリンピックでは、チームで銅メダルを獲得したと同時に、日本人初の“ママさん冬季五輪メダリスト”に。
「本当に迷惑かけた人たちもたくさんいるので、その分それが今の原動力になっている」「故郷を大切にする思いだったり、チームメイトと団結して目標に向かっていくことだったり、そもそもカーリングを楽しむということを忘れてはいけないなと思えたオリンピックでした」と振り返った。
フラワーアーティストのニコライ・バーグマンの福岡県・大宰府の旅に密着した模様を放送。
ニコライ・バーグマンは19歳で母国・デンマークで花の専門資格を取得した後、卒業旅行で日本を訪問。21歳で再来日して花屋に就職した後は、修行を重ねて7年後に独立を果たしたという。そんな彼が「20回は絶対来たことあると思います」と言うのが、福岡県の太宰府天満宮。
初めて訪れたのは6年前。福岡での仕事で宮司と会ったことをきっかけに訪問し、「あまりにも印象的で、『ここで展示できませんか?』と言っちゃった」とのこと。その後これまでに3度、太宰府天満宮で個展を開催。
和と洋の融合のインスピレーション
ニコライ・バーグマンにとって、太宰府天満宮は「インスピレーションをリニューアルするところ」だという。「日本のおもてなしであったり、道中で出会った人であったり、色んなところからインスピレーションをもらっている」そう。
太宰府天満宮は「伝統的な建物のすぐ横に、こんなモダンな場所(片山正通氏がデザインを手がけた授与所)があるのがとても印象的」で、「伝統とモダンがとても上手に融合されているので、自分が作ってるフラワーデザインと似てるのではないかなと思います」と話した。
感謝の気持ちを込め作品を準備
今年はコロナ禍で個展を開催できなかったが、今回、ニコライ・バーグマンは太宰府天満宮での作品に、協力してくれた人々への感謝を込めた。
「残念ながら、コロナがあってガッカリした気持ち」はあったが、「やっぱり、常に気持ちとしては前向き」でありたく、太宰府天満宮のスタッフに「私の気持ちを伝えたかった」「気持ちを込めて、という作品」と説明した。
作業場のすぐ近くに宿泊し、朝早くから夜遅くまで準備して完成させた作品たち。自己採点は、「いつも自分に点数をあげるのは厳しいんですけど、70点かな」とシビアな自己評価。その理由には「常に乗り越えたい」という高い目標があるという。
しかし、作品を目の前に喜ぶ宮司や関係者を見て、「いつも知ってる顔とか、いつも手伝って『おかえり』って言ってくれる人たちなので、すごく暖かい気持ちです」と笑顔を見せた。
エイベックス株式会社 代表取締役会長・松浦勝人氏のハワイ滞在に密着。楽曲制作の舞台裏を紹介した。当記事では、放送内容をプレイバック。
20年ぶりにハワイで楽曲制作に挑戦
松浦氏がハワイを訪れるようになったのは、「20年前、当時の会長に“松浦くんは物を作るのが好きだから、ハワイに行って一生物作った方が良いよ”って言われて、2000年の頭からハワイに来た」のがきっかけだったという。「浜崎あゆみのアルバムを作っている時に、ちょうど良さそうな家だなと思ったのが今の家」で、当初は「ずっとこっちで音楽活動をするつもり」でハワイに自宅を構えたそう。
しかし「1年もしないで日本の方から、“会社の組織を立て直すからやっぱり戻ってきてくれ”」と言われ、「戻ってしばらくしたら社長になっちゃったんで、全く来られなくなった」という。
その後社長としてエイベックスを引っ張り、2020年には社長を退任した松浦氏。新たに会長に就任した松浦氏が次に考えていたものは、楽曲制作の現場に戻ることだった。
「自分が15~16年ぐらい社長をやっている間、誰もちゃんとプロデュースしたことがなかったので、ずっともう一回やりたいなと思っていて」「そもそも音楽作ってる方が好きだったから、そういうのに専念する仕事をしたい」と語った。
「そもそも“何で俺はこの業界に入ったんだ?”っていうことを考えたら、そういえば途中でやり残したことがあるなと思って。20年前、途中までやってたことをもう一回やろう」と思い立ち、20年ぶりに楽曲制作を行うためにハワイにやってきたという。
あえて「アナログ」にこだわる理由
「今はデジタルで、場所なんかどこでもいい」という時代のなか、あえてハワイという場所にこだわり、「作る場所を選ぶ」という「アナログ」な手法を取った松浦氏。
その理由は、自分たちは「アナログの時代からデジタルの時代に変わるこの隙間に生きて」「両方知っている」からだという。「デジタルの方が強いっていうけど、実はこのアナログを知ってるやつらの方が強いっていう…風にしたいね」と笑いながら、「でも、絶対そうだよな」と確信した表情を見せた。
「ハワイという場所は同じだけど、20年経って世の中は全然変わってるから、じゃあそれに合わせた物の作り方をもう一回ハワイでやってみよう」と、ハワイ滞在中は楽曲制作に取り組む日々。菊池一仁氏・鈴木大輔氏などこれまでに一緒に仕事をしてきた様々な作曲家を呼び、連日意見を出し合いながら楽曲制作を進めている。
結果が出なければ、退く時
松浦氏が今でも一番大事にしているものは「自分の勘」だと言いつつ、それは同時に「本当に間違ってないかな?」という不安との戦いでもあると話す。
今回の楽曲制作について「結果が出なければ終わり」とシビアに答える松浦氏。「(これまでに手がけてきた)Every Little Thingの時も、浜崎あゆみの時も、売れなきゃ辞める、だし」「いつもそう言ってきた」が、「次(もし結果が出なかった時)はもう辞めるじゃなくて、退きなさいってことだと思う」と覚悟を語った。スタジオでは、この新作はあえて名を伏せて発表するつもりだという点も明かした。
“世界の秘境スペシャル”として、怪魚ハンター・小塚拓矢がゲストに登場。
これまでに56ヵ国に渡り、怪魚を釣り上げてきたという小塚は「まだまだ世界には釣りたい魚がいて、初めての場所、初めての1匹を求めていく」と語る。「釣竿を持って旅をするということの魅力にどハマりしたのは、パプアニューギニアです」と2018年に番組で訪れた旅を振り返った。
手付かずの大自然が残り、“地球最後の秘境”と呼ばれるパプアニューギニアの旅は、6日間移動し、4泊は野宿と非常に過酷だったが、「自分が映画の主人公になったような気持ちになれる」と当時のVTRでもワクワクしている様子を見せていた。
怪魚はどんなお味?
今回、小塚がスタジオに持参したのは、パプアニューギニアで釣った怪魚の頭。「釣った魚は村人とお肉は食べたんですけど、あとは記念に持ってきて」大事に残しているという。頭は人の頭がすっぽり入るほどの大きさだ。
そして当時食べた怪魚の味を解説。「見た目はグロテスクですけど、美味しいです。新鮮な魚なので」「やっぱり大トロの部分は脂のってます」と感想を述べた。「体が大きいので、肉みたいに1個1個筋肉が大きい」白身の魚だそう。
生涯、未知の魚を追う
今後は、「暖かい所はかなり行ったので、寒い所に行ってみたくて。グリーンランドとか、カナダの無人地帯(に行ってみたい)」という小塚。
北の海には鮭やマスがいることはもちろん、「オヒョウという畳くらいの大きさのヒラメのおばけみたいな魚」や「淡水のタラ」などがお目当てだという。
さらに、「古代魚とか恐竜とかが大好き」だという小塚は、「本当の冒険みたいなところは若いうちしか行けないと思うんですけど、歳をとってもできる冒険として、船に乗ってシーラカンスを釣ってみたい」と将来の夢についても明かした。
「深海には未知が残っている」「何か名前がわからない本当の意味での怪魚が釣れるんじゃないか」「シーラカンスを超える生き物がいるんじゃないか」と、再び冒険ができるようになった時へ期待を膨らませる小塚。「先かもしれないけど、夢は追い続けたいですね」と語った。
美容家・IKKOをゲストに招き、韓国・ソウルについてのトークが繰り広げられた。
韓国好きとして知られ、過去に何度も現地を訪れているというIKKO。コロナ禍の自宅での過ごし方は、YouTubeで韓国についてリサーチすることだったと明かし、今回は現地コーディネーターの協力のもとIKKOが今イチオシの店や最新のスポットを紹介した。
IKKO注目の屋台飯&韓国スイーツ
まずIKKOが紹介したのは、三清洞(サムチョンドン)にある『カフェムーン』のトースト。自宅で屋台飯をリサーチしていたところ、トーストの調理過程が動画としてアップロードされていて注目したという。チーズがとろける様子の映像に、食欲をそそられるスタジオ一同。
ぜんざいが食べられるというお店、その名も『ソウルで2番目においしい店』にも言及。看板メニューのダンパッチュクは、大きな餅が入った甘すぎないおしるこ。IKKOいわく、「じゃがいもの粉を入れている」ので、「舌触りがざらっとする」のが特徴だそう。
食だけじゃない!梨泰院の意外な魅力
さらに、最近ドラマ『梨泰院クラス』で注目されたエリア・梨泰院(イテウォン)の話題も。
IKKOが「私もよく行っていた」という梨泰院は、「基地が近くにあるので、意外とアメリカの影響を受けている街」で、「韓国とアメリカがちょっと混ざり合ったような感覚」があり、「日本で言うと六本木みたいな感じ」だそう。おしゃれなバーやカフェも多く、若者を中心に人気のエリアだ。
しかし、IKKOが梨泰院で注目しているのは、意外にもアンティークショップとのこと。韓国の大女優、キム・ヘスクが出演する「ドラマ『アンニョン!コ・ボンシルさん』で梨泰院が出てきて、え!? 梨泰院ってアンティーク街が素晴らしかったんだって気づいて、そこに行った」のがきっかけだったそう。
1960年代、米軍の職員たちが帰国する際に家具を売り始めたことがきっかけで栄えたと言われる「アンティーク家具通り」には、アンティークの家具や雑貨店が100件ほど連なる。なかでも、「ロイヤルアンティーク」は「半日いても飽きないくらい」お気に入りの店だそう。「時々行くと、偶然良いものが安く入ってたり」するので、「見抜く力をしっかりとわかる人に一緒についていってもらって」訪れるのが良いとアドバイスした。
ウエンツ瑛士をゲストに招き、約1年半に渡るイギリス留学を振り返った。
ロンドンで学んだこと
4歳で俳優デビューしたウエンツは、バラエティ・歌・芝居とジャンルを超えて活躍してきた。しかし、そのキャリアを一度捨て、2018年10月に32歳での新たな一歩として挑戦したのが海外留学だった。
「演劇って言ったらイギリスのイメージがすごい強くて」留学先に選んだそう。日本語は一切使わないと決め、平日は朝から晩まで語学学校で英語を学び、休日は芝居やミュージカルの観劇に明け暮れる日々。「ロンドンに来て、何度つまずいて、何度転んで」くじけそうになったことか。しかし、イギリスで学んだのは、英語だけではなかったという。
「“自分は自分だ”と見せる所から始めなさい」「瑛士が幸せでいるように努めて。それが私たちはうれしい」「あなたはあなたのままでいいんだよ」「自分の人生がもっと楽しい方が良いでしょ?」――このような言葉を先生からかけられたという。
英語での芝居にも挑戦
留学中には、全編英語での1時間半の芝居にもチャレンジ。劇場・演出家・脚本家・共演者など全て自分で探した手作りの舞台だ。
「イギリスの方のユーモアもあるし、イギリスだとこのテンポでいかないとここで笑いは取れないよ」と芝居の中でも文化の違いを感じたり、「(セリフが)とんだときにアドリブが出てこないのはわかってるから。相手がセリフを飛ばすこともあるし、その時に何か自分の役柄に沿ったアドリブの英語を入れて、そこにまた入る」など、英語ならではの芝居の難しさも感じたと振り返る。
脚本を書いている途中で仲間が倒れてしまうというトラブルも発生したが、「日本から来てチャレンジしたいって言ってる人を応援したいんだ」と、「病室でも(脚本を)書き続けてくれてた」ことに心を打たれ、「その想いに応えたい気持ち」からやり遂げることができたという。
3年後の夢とは?
しかし、ウエンツは「目的が達成できたわけでは無い」と話す。「オーディション(受験の)途中のものもありますし、事務所もエージェントも決めなきゃいけないし」、やることはまだまだあるようだ。
中でも、1つ目標にしていることは3年後にアナザースカイIIに出演し、イギリスで撮影すること。というのも、「『火曜サプライズ』の密着があって、セブンシスターズっていう有名な崖なんですけど、撮影するには1000ポンド(約13万円)の撮影料がいる」という時に、「その時ちょっともうお金がなくて、その手前の景色で勘弁してくれって言われて」諦めたことがあったそう。その経験から、「俺は絶対払いたくなる人間になって、ここ(セブンシスターズ)で『アナザースカイ』のタイトルコールをやるって決意をした」という。
お笑いコンビ・アンタッチャブル、柴田英嗣の沖縄県・西表島の旅に密着。
1994年、コンビ結成秘話
アンタッチャブルがコンビを結成したのは、1994年。相方の山崎弘也とは、柴田が静岡の高校を卒業し上京した後、人力舎の養成所で出会ったという。元々知り合いだった訳ではなく、「養成所の中で、組んだらどうだと紹介されて組んだのがスタート」と柴田は結成当時を振り返る。
しかし、二人を結ぶ共通項はあった。それが、高田純次だ。
柴田がお笑いを目指したのは、「元々高田純次さんが好きだった」ことがきっかけだったという。「高田純次さんが万が一芸能界を辞めた時、お笑い界が終わってしまうんじゃないかなと思って、第二の高田純次さんを目指してこの世界に入った」そう。そして、そんな中「(コンビを)組んだ奴がより高田純次さん(のような人)だった」のが相方との縁だった。
偶然か必然か、「より高田純次さんみたいな奴のサポート役になっちゃった」「俺がなりたかったんですよ、本当はね」と笑いを誘った。
絶頂期からの突然の休業
結成から10年が経った2004年、アンタッチャブルは『M-1グランプリ』で優勝。お笑い界の頂点に立った。しかし、「必死だったのかどうかは定かじゃない」と柴田は言う。
というのも、当時の二人は純粋にお笑いを楽しんでいたのだという。「不真面目ってわけじゃないですけど、優勝するためのネタみたいなので作ったことは無い」そうで、「僕たちも楽しんで、ついでにお客さんも楽しんでくれませんか」「万が一お客さんが楽しくないんだったら、せめて僕らだけ楽しくてもいいですかね」というスタンスで臨んでいたと、二人のお笑いとの向き合い方を明かした。
その後も順調にお笑いコンビとして階段を登っていた二人だが、前年の番組出演が200本を超えた2010年、女性トラブルを抱えた柴田は突然休業を決断。相方を残し、約1年もの間、芸能界から足を遠ざけた。
10年ぶりのコンビ復活
2011年に芸能界に復帰した柴田。しかし、コンビではなく独りでの再開だった。
その背景には、「ある程度、以前に仕事していたぐらいの量は自分の力で取り返さなきゃ」という思いがあったそう。仕事のない時期には大好きな動物の知識を蓄え、徐々に動物に関する仕事のオファーを増やしていったという柴田。取り返すには「4、5年ぐらいはかかりました」と当時を振り返った。
独りでの仕事が安定してからも、柴田はなかなかコンビ活動を再開しなかった。「コンビの活動をしたくないってことではなくて、この独りの仕事をとりあえずみんなに認めてもらえるように頑張ろうという期間がまた何年かあった」という。
しかし「(山崎が)“アンタッチャブルを残していつかやろう”と思ってくれていたのはホッとした部分ではあります」「コンビを組んだ時からずっと感謝はあります」と素直な心境を語った。
そうして、2019年11月に約10年ぶりにアンタッチャブルはコンビ活動を再開。「芸人のみんなの方が喜んでくれました」「(芸人同士は)ライバルなんて淘汰された方がいいんですけど、それはすごく嬉しかったですね」と復活に対する周囲の反応を噛み締めた。
「久しぶりに山崎さんの肩口を叩いた時、やっぱ感動しました」と柴田。今後は、「二人での立ち位置がもっと増えるようにこれから動いていこうねっていうのは話している」という。
「それが冠(番組)でも冠(番組)じゃないにしても、二人での姿を、二人の絡み・やりとりを見せられるようにしていければいいな」と今後のコンビ活動に前向きな姿勢を見せた。
モデル・冨永愛のパリの旅に密着した模様を放送。冨永にとって「パリは母親みたい」な存在で、「温かくもあり、厳しくもあり、いろんな自分を逆に見せてくれた」場所だという。
今や世界で活躍する日本人として知られるスーパーモデルの冨永。15歳の時からモデルとしてファッション誌に出るようになり、17歳には高校の制服を着て『VOGUE JAPAN』に掲載。それが海外のファッション関係者の目に留まり、18歳でニューヨークコレクションにて海外デビュー、さらにはパリコレデビューも果たした。
しかし、当時パリのホームステイ先だった金子有里さん曰く、10代の冨永はそれほど「モデルに対して執着してなかった」ように見えたという。冨永自身も「まだ良くわかってなかったと思う」「ただ何か“やってやる!”って思ってたのはたしかですね」と当時を振り返った。
「モデルの世界は常に戦いというか、やっぱり孤独な戦いなんですよ」と冨永。しかも、当時はまだ10代。「パリはホームステイ先があったんですけど、ミラノのニューヨークとロンドンは(ホームステイ先が)なかったので、その時はホテルで1人」「1人で海外まわって、1人でキャスティング受けに行って、ゆっくり友達と会う時間もないし、友達ももちろんいないわけだから、すごく孤独な戦いでした」とモデルの世界の厳しさを語った。
そんな環境の中、「同時に英語も学びながら、同時にファッションの世界のあれこれも学んで、こういうものなんだっていうのを身につけながら」過ごしてきた。「夜中の2時にフィッティングに出なきゃいけなかったり」、怒涛の日々を送っていた冨永を「温かくちょっと離れたところから見守ってくれて」いた金子さんに対して、改めて感謝の気持ちを示した。
10年ぶりのランウェイへの挑戦
モデルとして成功し始めてからも、冨永の中に不安はあったという。
「モデルは3年が賞味期限って言われていて、すごく人気が出た時に褒めちぎるのに、3年くらい経って雑誌とかショーとかに出なくなった途端に見向きもしなくなる」という現実を目の当たりにしてきた冨永は、「いつか自分もそういう風になるだろうなって思ってたし、だから長いことやりたくないってずっと思っていた」という。
しかし、今やモデルデビューから20年。そして今年、冨永は10年ぶりに再びランウェイを目指した。「長いこと10年以上ランウェイを歩いてきたので、やっぱりもう1回やりたいって思う気持ちは純粋に湧き上がるものはありましたよね」と冨永。
ところが、パリには来たもののランウェイが確約されているわけではない。「50%決まっている状態で、これからフィッティングに行ってどうするか」という状況だった。しかも、「フィッティングをやったとしても外れる場合がある」そうで、「前日の夜くらいにならないとちゃんと全ての決定が出ない」ことも少なくないそう。
そして2月下旬から開催された世界最大のファッションの祭典・パリコレ。冨永は、LANVINのランウェイに姿を現した。
ショー終了後、冨永は「不安ではあったけど、今までもその不安とずっと戦ってきたから」、「そこを乗り越えて踏ん張るのは割と慣れてはいるんです」「その時の気持ちと同じような感じで今回来たので、それもまた懐かしいなって思いました」と振り返った。
冨永愛がモデル業を続ける理由
「何が正解なのかわからない」のがモデルの世界だという冨永。「どれだけポテンシャルが高くても上手くいかない子もいる」なか、「人を惹きつける何か」が必要だという。それが「内から湧き出るモノなのか、外見的なモノなのか、私もいまだに分からないです」と絶えない葛藤を明かした。
長くは続けたくないと思っていた過去もあったが、今は「夢はずっとモデルで居続けること」だという。「ファッション業界がある限り、自分が生きている限り、何歳までできるかわからないけどモデルでいるのが幸せかな」「好きだからこそやりたいっていう気持ちがあるし、やるべきだなとも思う」とブレない思いを語った。
「ぐっさん」こと山口智充の、奄美大島への旅に密着。
山口の母親の実家が奄美大島にあり、2009年からは鹿児島県瀬戸内町の観光大使も務める。「お袋のDNAっていうのもあるから、(島の)皆さんも奄美の血が入っているというのを分かってくださっている」と奄美大島との関係性を語る山口。
20歳の頃に実感した“島の笑い”
奄美大島には「初めて来たのが小学校1年生」で、「夏休みの間、1か月以上ガッツリいた」という。それから約50年が経つが、山口の「DNAの半分は奄美大島」で成り立っていると言えるほど、大きな存在だという。
25歳で吉本興業に入った山口。一度は「18歳で就職したんですけど」「シンガーソングライターになりたいなっていうふうに思いながら、なんかそれがムラムラしてきて仕事を辞めた」そう。その後、「何かするわけじゃなく、宙ぶらりんのままバイトの話がきたらバイトして」という生活を送るなか、「20歳位の時に奄美に一回帰った」際に“島の笑い”を実感したことが転機となったという。
「島の三線を弾きながら、パッと指名したらその人がパッと歌ったりする。踊る人もいれば、皆でゲラゲラ笑ってる」という奄美の人々の様子を見て、「人がいたら何かしたくなるこのウズウズした感じのDNAは、ここから来てるのかなぁと発見した」という。「1つ、エンターテイメントの世界がここにある」と感じた原体験を振り返った。
「やりたいことが多すぎて楽しくてしょうがない」
「僕、お笑い芸人って自分で言ったこともない」という山口。たしかに、山口はものまね・音楽・演技など幅広いジャンルで活躍しており、一言で言い表すことが難しい。「音楽も欠かせない。じゃあ、もう両方できるのが1番いいなっていって、笑いと音楽の融合したエンターテイメント」を目指し始めたそう。
山口は「物心ついた時から、もちろん今もそうですけど、自分は我が道」を貫いていくという。「人にこう言われてるけど、世間にこう言われてるけど、ネットでこう言われてるけど、もちろんそうなんだけど」、「やりたいことが多すぎて楽しくてしょうがないっていうのが事実」と素直な思いを明かした。
「“何屋さんか”って言われたら」、「職業、ぐっさん」なのかもしれないと山口。「山口智充っていう人がやりたいことをやって、これをやっている俺を好きと思えるかどうか」、自分に嘘をつかず、やりたいことをやり続ける信念を語った。
「成長はもちろんしたいんですけど、根本にあるものは全く変わってないと思ってるし、変わっちゃいけないと思ってる」と語り、いつ来ても「何にも変わってない」奄美大島と自分自身を重ねた。
放送作家/脚本家・小山薫堂の京都の旅に密着。
これまでに『料理の鉄人』や『電波少年』などをはじめ、数々の人気番組を手がけてきた小山。さらに、脚本家やプロデューサー、自治体や企業のアドバイザーなど何足ものわらじを履きながら活躍している。
京都での精力的な活動
そんな小山は、京都芸術大学の副学長という顔も持つ。小山は「ピュアにクリエイティブに関わりたいと思ったり、商品を作ることによってその産業を助けたいと言う思いで商品を作っていくので、すごくコラボレーションがしやすい」と大学での仕事の魅力を語った。
また、2012年からは社長として創業1856年の老舗料亭「下鴨茶寮」を引き継ぐことに。しかし、「ただ料理屋をやりたかった」わけではないという。「日本の食がこれから世界で求められるだろう」と考えた時に、「文化を集めて和えて、いろんなものをミックスして発信するような場所が欲しかった」と料亭の主人となった経緯を明かした。
今年から入社した新入社員へ、「お客様の人生の1ページを皆さんは毎日作っている。それを忘れないように仕事に励んでください」とメッセージを送った小山。「ここ(下鴨茶寮)にきてお食事をされる方は、やはりそれなりの理由があって、下鴨茶寮を選んで下さる方がほとんどだと思う」と小山。「人生の分岐点になるかもしれない方もいらっしゃるかもしれないし、人生の記憶に残る大切な1日になるかもしれない」という思いを日々持ちながら働いてほしい思いを伝えた。
心の洗濯ができる場所と人
京都は「永遠の先生みたいな感じ」だと小山は言う。それは、京都という場所だけでなく、出会う人も同じだった。
20年以上前、京都に来始めた時に「見ず知らずのおばあちゃん」と知り合ったという小山。話をしたり、お茶を出してもらったりしているうちに、次第に「本当に自分のおばあちゃんのような存在」になっていったというエピソードを明かした。
「お寺や神社に行くのと同じ感覚」で、「ここに来ると浄化されて、汚れていた心を洗い流せた」そう。今は、おばあちゃんは亡くなられてしまったというが、「目の前にある悩みとかもそのうち何とかなるんじゃないかなっていう気がして」、「心の洗濯をしに来るような場所」だったと亡き恩人を振り返った。
京都は、自分の中の「物差し」を変えてくれた場所だという小山。「東京に生きていると、自分の一生が物差しになるけれども、京都に来るとこの物差しがすごい長い」ため、自分のやっている事は「歴史の中の一部でしかない」と思うことができるという。それにより「作ったものを目先のことではなくどれだけ先に置いとくか」という発想が生まれるという。京都は卒業のない「人生の学校」だと語った。
ギタリスト・MIYAVIのアメリカ・ロサンゼルスの旅に密着。
MIYAVIといえば「スラップ奏法」という独自のギター演奏法が代名詞だが、一体どのように編み出されたのか。
三味線からヒントを得た「スラップ奏法」
「スラップ奏法」を思いついたのは、ロサンゼルスでの経験がきっかけだったという。「日本でこのまま成功していいのか」という思いから日本での活動を休止し、25歳でロサンゼルスへ留学することを決断したMIYAVI。
当時、現地でストリートパフォーマンスを始めたMIYAVIは、「違う目的で来てる人達」の足を止めることの難しさを知ったという。「その人たちの興味を引くのって凄く大変で」単に上手いだけでは「(人々の足は)止まらない」し、通用しなかったと当時の苦労を語った。
そんな中生まれたのが「スラップ奏法」だった。「自分にしかない表現方法はないか」と考えるうちに、“日本のギター”とも言える三味線の弾き方からヒントを得たという。「(三味線では)撥で弾くじゃないですか。あのニュアンスを僕はギターでやりたいなと思って、スラップし始めた」と明かした。
ロサンゼルスは夢を追える街
その後本格的に海外で活動することを決め、2014年にはロサンゼルスへ移住したMIYAVI。多くの仲間との出会いを通じて「なぜ音楽を作るのか?」「なぜ音楽が存在しているのか?」というコミュニケーションとしての音楽の在り方を「強く意識するようになりました」と語る。
そんなロサンゼルスは「夢を追いかけていいんだって思わせてくれる街」だという。「可能か不可能か」ではなく、「まず、やろうぜ」「挑戦していいんだというのを感じさせてくれる」とMIYAVI。「死ぬまで成長していたい」「死ぬまで何かしら学んでいたいし、何かしらずっとワクワクしていたい」と語った。
コメディエンヌ・柴田理恵の北海道・知床の旅に密着。
都会と地方、それぞれの魅力
柴田の出身は富山県。「富山は羅臼昆布を食べる」地域であったことから、北海道は昔から身近な存在であり、今では柴田は羅臼昆布大使を務めているという。
北海道の町を歩きながら、「自分がもしこの町に生まれたら、好きだろうけど出ていきたいと思うだろうなと思いますね」と率直な感想を語った柴田。「自分がどういう位置にいるか分からないから、それを確かめたいと思うのが自分だと思う」と、大学進学をきっかけに18歳で富山を離れ、上京した自分自身と重ねて語った。
一方で、「だけど、ずっと都会で色んな仕事しているうちに、“大事な事ってどこにあるのかな?”っていうふうに思うと、故郷というか、都会ではない場所というのは実は自分たちにとっては本当に大事な所だと思います」と地方の魅力についても言及した。
ワハハ本舗が生まれた当初は…
柴田といえば、久本雅美や佐藤正宏らと6人で一緒に作った「ワハハ本舗」の舞台のイメージも強い。高校時代から演劇部に所属し、21歳で「東京ヴォードヴィルショー」に入団。その4年後に「ワハハ本舗」を作り、舞台一筋で「40年、走り続けてきた」と語る。
しかし、「ワハハ本舗」は最初から好調なわけではなかった。「演劇界からは“あんたたちは演芸でしょ”って言われて、演芸界からは“劇団でしょ”って言われて、ずっと隙間で生きてきた」と当時の苦労を明かした。
その後、「オリジナルの芸風」を大切にしながら活動を続けることで、今では唯一無二の劇団として知られ、柴田自身も舞台役者の地位を確立した。
舞台に目覚めた原体験
そんな柴田の舞台への想いの「原体験」は、高校時代にあるという。「高校1年生から2年生の時に、うちの街に旅の公演が来る」機会があり、「ちゃんとした劇場なんか無いですから、社会体育館みたいな所で機材運んで、とにかく手は足りないから衣装を運んだり、照明器具を運んだりお手伝いをする」経験をしたそうだ。
その時に「“ありがとう”って、劇団の人達が高校生の私たちとお話ししてくれる」ことが嬉しく、「きっとその経験がすごく自分の中に残ってる」という原体験だったよう。
そんな経験もあってか、「旅を周って、見せて歩くという行為が好き」だという柴田。「芝居っていうものは、その土地に行くからいい」という考えから、6年前には全国巡業を行い、北海道も訪れた。
柴田は、その時に出会った観客の男の子が記憶に残っているという。「その目がもう真面目で」「私たちみたいに1日パッと来ただけの人間にも、真剣な顔してる」のが印象的で、「こういう子たちは、昔の私かもなと思った」と高校時代の自分を思い出したそう。
「画面とか映画館ではない生のものっていうのは、やっぱり良い」「全然感動が違うと思うから、それが私たちの大事な仕事」であり、「土地土地に行くのは我々演者の在り方だ」と、改めて舞台の魅力を噛み締めた柴田。
「舞台の文化はずっとあるべき」であり、「繋いでいかないと」と舞台への想いを語った。
3月6日(金)放送の『アナザースカイⅡ』では、三つ星レストラン「カンテサンス」の料理人・岸田周三のフランス・パリの旅に密着。
創業以来13年連続でミシュランガイド東京の三つ星を獲得する他、「The Tabelog Award 2020」や「ゴ・エ・ミヨ 2020」など数々の受賞経験を持つ岸田。最近では、料理監修を務めたドラマ『グランメゾン東京』も話題となった。
無計画で飛び込んだパリ
そんな岸田のルーツはフランスのパリ。「30歳までにシェフになろう」という目標を胸に、18歳から日本で修行し、26歳で渡仏。「最初は手紙をたくさんいろんな星付きのレストランに送った」が、「結局ほとんど返事は無く」簡単にはいかない現実を知った。しかし、「スキルアップしたら、次は星付きを狙えばいい」と、まずは星付きレストランではなく「シェ・ミッシェル」というブラッスリーから修行を始めたという。
住む場所も働く場所も決めないまま渡仏した岸田。語学についても、「1年ぐらい日本でフランス語学校に行っていた」が、「準備としてはせいぜい30%」程度でフランス行きを決めたという。というのも、「アクションをまず起こす」「アクションを起こさないのが一番悪い」というモットーがあるそう。当時について「毎日カルチャーショックの連続」だったが、「すごく刺激的でした」と振り返った。
戦友と過ごした日々も糧になっているという。パリで初めて二つ星を取った佐藤伸一シェフとは同期で、「休みの日は食材を市場に買いに行って料理を作って」「お互いボロカス言う」ことができる良い関係だ。久々の再会では、そんな佐藤に「(岸田は)発想の元が違う」と言わしめた。佐藤は「もちろん負けたくない」とライバル心を見せつつ、「どんどん上に行ってほしい。それが僕の目標やモチベーションに繋がる」と話した。
人生を変えた師匠との出会い
一番辛かったのは「東京に出てきてから」で、「毎日辞めようかなぁって思ってました」と昔の心境を明かした岸田。そんな岸田を変えたのは、ブラッスリーで働きながら2年間志願し続け、ようやく働けるようになった「アストランス」で出会ったシェフ、パスカル・バルボだった。「アストランス」で働き始めてからは、「毎日が楽しかった」「出勤するのも楽しみでしょうがなかった」という。
岸田は、「それまではクラシックな料理をやってきた人間」だったが、「パスカル氏に出逢って、ガラッとスタイルが変わった」そう。「“絶対、この人のもとで結果を出したい”と思う人のもとで働くというのはすごく大事なことだと思う」とパスカルの出会いを振り返った。
「“どうやったら美味しい料理を出せるんだろう、作れるんだろう”ってことだけを考えた」3年の修行を経て、副料理長になったタイミングで岸田は独立を決意。岸田にとってパリは、「料理人として生まれ変わった場所」であり、「青春と表現できるかもしれない」と語る。「われわれはもう対等なんだ」と話す師匠に対して、「世界で一番尊敬しているシェフ」であることは「変わらない」と尊敬の眼差しを向けた。
初心を忘れず、未来を見据える
現在、自身がシェフを務める「カンテサンス」では、「コピーじゃなくて、カンテサンスに来ないと食べられない料理を作ろう」とオリジナルにこだわっているそうだ。
「新しい料理を作るってすごく大変」で、「常に悩んでます」と料理人としての悩みを明かしながらも、「カンテサンス」では「1週に1個ずつくらい(メニューが)変わっていく」スタイルを貫いている。その原点は「いろいろな料理を毎週、毎週作っていた」パリでの日々にあり、「料理を考える基礎」になっているという。
2006年の創業以来、ミシュランガイド東京の三つ星を一度も逃さずにいる岸田は、「もちろん、評価していただけることはすごくありがたいと思っていますし、それに全く興味がないなんて言うつもりはない」と話しつつ、「やっぱり、あるべきは日々来てくれているお客様が本当に喜んでいるのか」だと語る。
ドラマ『グランメゾン東京』の監修は、「フレンチに人が来てほしい」という想いから引き受けたそう。水産資源の保護活動にも積極的で、「想像したものを作るんじゃなくて、想像もつかないようなものをお出しできたら」と新しい料理への挑戦を忘れない一方で、「業界自体のことを考えていかなきゃいけない」と未来への思いとフレンチ業界を牽引する責任感を垣間見せた。
『アナザースカイ2』のレビューや感想
司会者の今田さんは、ベテランの回しで丁寧にゲストからコメントを拾って、番組を上手に構成できていると思います。
アシスタントには、姉妹で人気が高い広瀬アリスさんが担当されており、華やかなセットに対してさらに華やかさを演出できていると思います。
何回か放送のあった中で、一番印象に残っているのはぐっさんの回です。
他の番組で、ぐっさんが出演し、その番組がバズったのですが、レギュラーがひとつもなくなったぐっさんが何の焦りもなく、自由に自分の好きなふるさとに訪れたのが印象的でした。
おおらかで面白いユーモアのあるぐっさんの姿を、綺麗な景色と一緒に見れたのがものすごくよかったです。
まとめ
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